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正職員と非常勤職員 [■ブログ■]

地方自治体では、都道府県、市区町村合せて300万人弱の地方公務員(いわゆる正職員)に対して、約60万人の非常勤職員を抱えている。非常勤職員の支えを抜きにして地方自治体の業務を維持していくのは困難だ。

去年までの民主党政権時代にも、総務委員会で総務大臣に対して質問をした(2012.8.28)が、地方公務員法の規定のなかでは、非常勤職員に対して手当は支給できない決まりになっている。現状では「官製ワーキングプア」という言葉もあり、これを何とかしなければならない。

ちなみに、国家公務員法では非常勤職員に手当を支給することは可能であり、地方自治法で一律の支給禁止をしていることは、地方自治の基本の精神に反すると私は思っている。

今年も、委員会での大臣質問や、議員立法で新たな法律を出そうとしたが、与党(自民・公明両党)が反対している。反対の理由はハッキリしていない。また、残念なことに、組合も含めた正職員サイドは、自分たちの業務を支えてくれている彼らの待遇改善に対して積極的な行動を起こそうとしていないようにも見える。ある面では、非常勤職員の犠牲のもとに正職員の待遇が維持されているとも言える。地方公務員の労働組合に限らず、民間の労働組合も非正規雇用者に対して支援の動きを起こすべきではないかと感じている。

労働には、正当な対価が支払われなくてはならない。正当な対価(評価)を受けることは、働く当人のモチベーションを支える。そして、回りまわって社会が豊かになることにつながると信じる。地方自治を経験してきた自分は、市長・知事時代に支援を模索したが、法律の壁が厚く、当時は解決できなかった。今度こそ最大限の力を尽くして実現したい。



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低賃金と少子化 [■ブログ■]

先日、農業委員会の代表の方々との会合で、TPP参加を含め、これからの農業をどうするのかといった内容の会談をした。TPPの参加の内容次第では、農業経営はますます厳しくなる。農業は苦労の割に所得が低いからと、後継者や新たな担い手になる人も少ない。農業に限らず、今の若い人たちには仕事が少なく、所得も低い。簡単に言えば(月収)10万円から20万円くらいの人が多いのが現実だ。こんな状況では結婚もできない、まして子どもを産んで育てろと言うのはムリだという話の流れに自然になった。

1990年まで私は企業経営者だった。当時は、会社に内部留保が無くても、借金してでも、従業員に高い給料を出すのが経営者の誇りであった。しかし、社会がグローバル化して世界と競争しなければならない今の時代の企業経営者の評価基準は、人件費をいかに抑えるか、いかに内部留保を厚くするか、利益率はいくらか…に変わっている。

安倍政権は、経済界に従業員の賃金を上げることを呼びかけ、大企業など一部ではそれに応えはじめている。また、保育の受け皿を増やすとか、3年間は抱っこし放題だとかいう。しかし現実には、そういった恩恵から遠い、非正規雇用で働く人が全体の3割を超えていて、企業の労働力の調整弁の役割を果たしている。同一労働・同一賃金でもない。

働く人の半分近くが年収200~300万円というような状況のなかでは、格差は広がり、世代を越えて貧困の連鎖が続く。若い人たちの中には、所得が低くて親からの仕送りを合わせてやっと生活している人もいる。「結婚したい・子どもが欲しい」と思っていても、所得が低いからと諦めてしまっている人もいる。安倍政権は、企業に賃金を上げろと言うなら、先ず、こうした非正規雇用・低賃金の待遇改善を優先させるべきだ。それによって生活が安定すれば、出生率も向上してくるだろう。

子育て支援も大事だが、これから結婚して子どもを産み育てていこうという人たちが、働いて家庭を維持できる収入を得られるようにすることの方が先決だ。このことは、私にも国会議員として責任がある。格差の是正を実現すべく頑張ります。

 


マニトバ法に感謝~豪太、よかったね [■ブログ■]

秋田の男鹿水族館・GAOのホッキョクグマ、豪太とクルミの間に生まれた子グマが生後半年を迎え、名前が「ミルク」に決まったと報道があった。男鹿水族館は2004年7月のオープン以来、順調に入館者を増やしており、豪太とクルミの魅力が今の男鹿水族館の人気を支えている。私にとっては特に嬉しい出来事である。

父グマの豪太は、知事時代に様々な紆余曲折を経て、男鹿水族館に迎えたホッキョクグマだ。当時、老朽化した男鹿水族館がリニューアル時期を迎えており、新水族館の目玉として、ホッキョクグマを迎えるにあたって、カナダのマニトバ州が2002年に定めたホッキョクグマ保護法という、厳しい飼育基準に基づいた施設を日本で初めて造ろうと、1億5千万円を予算に追加計上して、クマの生活スペースを拡充した。

その時は、県議会やマスコミ、県民から、クマにそんな立派な住まいを与えるのは税金のムダ使いだという批判があがった。また、なぜホッキョクグマでなければならないのか?という疑問も相次いだ。実を言えば、私が知事になった時点で既に、新しい水族館の目玉はホッキョクグマとペンギンで、飼育スペースも決まっていた。

「水族館にシロクマ」と聞いた時は、ちょっとヘンだと思ったが、ホッキョクグマでなければ他に何を?という代案を出せなかったことも事実だ。しかし、迎えるのなら、本来広大な野生の中で生きるホッキョクグマを可能な限りストレスの少ない環境で育てたいと思ったのが、マニトバ州のホッキョクグマ保護法に基づいた施設を造ろうという結論だった。

結局マニトバ州からホッキョクグマを迎えることは叶わなかったけれど、縁あって、未だ子グマだった豪太が来てくれた。そして、伴侶のクルミとの間にミルクが生まれて無事に育っている。あの時、県民と県議会に無理なお願いをして整えた豪太の住環境は、ホッキョクグマが子どもを生んで育てられる環境でもあった。嬉しい限りだ。

 


第4の矢 [■ブログ■]

本日、今まで3年間に渡った、国民生活・経済・社会保障に関する調査会が、調査報告をまとめて終了した。3年間の私の意見の総括は以下の通りである。

 米国はリーマン・ショック、EUはギリシャも含めたソブリンリスク等を経験し、また、日本も大変な財政赤字であるが、いわゆる近代国家の成長のひずみ、限界に来ているのではないか。そういうことから、新しい国の形を模索する必要があり、ある面では、持たざる豊かさというものを考える必要があるのではないか。
 日本が今一番にすべきことは、国家財政の健全化に向けた国際公約を達成できる政策を確実に実行していくことである。これによって、持続可能な経済、社会保障も実現できると思っている。
 今一番力を入れる必要があることは、女性の能力の活用と子育て支援を徹底的にすること、高齢者のエネルギーをどう活用するかということ、働く人の格差是正をどうするかということ、国際化に対応できる人材育成と教育を行うことである。新しい切り口により、それらの実行に向けて政治が主導していくべきである。

今朝(5/29)の日経新聞の記事によると、28日の経済財政諮問会議が「骨太の改革」について議論をし、民間議員から、社会保障費などの義務的経費や地方の歳出抑制を含めた財政健全化が必要との意見を受け、財政健全化を、アベノミクスの第3の矢(成長戦略)に続く第4の矢と位置付けた。…とある。

これでは、安倍政権は、本来真っ先に取り組むべき財政再建を先送りしているようにも受け取れる。バラ色のお花畑のような公約を掲げ、それを信じる国民も不思議だが、この国を預かる安倍政権の責任として、国家財政の厳しい現実を国民に示すことの方が重要ではないのか。

朝日小学生新聞(1月19日付)は、第1の矢(財政出動)を「公共事業」と鋭く言い切っている。放つ矢の順番を間違ってはならない。


国際教養大学 故・中嶋嶺雄 学長への弔辞 [■ブログ■]


去る、3月17日。

先月14日にお亡くなりになられた、

国際教養大学 中嶋嶺雄 学長 の大学葬が執りおこなわれ、

席上、寺田も弔辞を述べさせていただきました。

以下に、その全文を掲載いたします。


 

■中嶋学長への惜別のことば■

 

 中嶋学長、この世の勤めを終えるには、あまりにも突然で、早すぎました。誠に残念であります。

 国際教養大学設立のきっかけは、ミネソタ州立大学機構秋田校の経営難の改善と、文部省(当時)認可の大学にしてほしいという要望を受け、何とかしなくては、と1997年の暮に大学を視察したところから始まりました。雪に囲まれた夜のキャンパスに明かりが灯り、ひたすらに勉強している学生たちの姿を見て、既存の大学にはない、エネルギーと将来の可能性を感じました。

 当時、日本の国際化対応が先進国の中で遅れているといわれており、1998年4月、当時の文部省から迎えた板東副知事に対策を求め、2000年4月「国際系大学(学部)検討委員会」が発足しました。

 委員には、できるだけこれからの大学を改革できるような、グローバルな視野を持つ人材を育成できる人を、と板東副知事にお願いして、メンバーには、元国連事務次長の明石康さん、(公立大学法人)宮城大学の野田一夫学長、秋田県商工会議所会頭の故・辻兵吉さんなど、先進的な方々に集まっていただいたなかで、座長として、当時、東京外国語大学の学長をされていた中嶋嶺雄さんに白羽の矢が立ちました。これが中嶋学長との出会いでありました。

 今までの日本にない、全く新しい大学を0から創ることは、ドンキホーテ的、いわゆる空想的な理想主義者と受け止められたのでしょう、多くの人が失敗すると思い、反対の声もたくさんありました。県議会では否決され、知事選の争点にもなりました。それでも、座長の中嶋さんと委員の皆さんが、これからはこういう大学が必要だという意見を支持してくださり、県庁の事務局スタッフも、私も諦めませんでした。多くの反対を受け、時間がかかったことで、逆に構想を熟成させ、さらに発展させる時間が取れました。

 今までの日本の大学にはない大学を地方が作るのだ、という強い思いから、中嶋座長はじめ委員の皆さんが出してくる要望はどれもレベルが高い難題ばかりでした。

 授業は全て英語でおこなう。全学生に留学を義務付ける。少数精鋭で、教授陣は、日本人にこだわらず世界中から集める。

 これらを実現するには、公立大学を独立行政法人化して、学長に強い権限を持ってもらう必要がありました。とにかく実現に向けてすべてが大変でありました。

 中嶋さんが、地方の未知の大学をお引き受けくださった背景には、奥様の後押しとお支えがあったと伺っております。奥様、本当にありがとうございました。

 学長をお引き受けいただいた後も、開学に向けてその高い理想や情熱をクリアしていくのは正直難儀な事でした。しかし、これは私自身も望み、願ったことであります。

 国際教養大学は、既存の日本的・ガラパゴス的な大学に対するイノベーションであると同時に、地方からの大きなチャレンジでした。難題を乗り越えて実現できたのは、皆さんからたくさんの厳しいご意見をいただいたおかげです。そして、今の国際化社会の中で、日本国内ばかりでなく、世界で注目される大学にまで育ったのは中嶋学長の功績であります。

 学生諸君にお伝えしたいことは、国際教養大学は、設立当初から、日本の普通の大学のように、入りさえすれば卒業できるという大学ではなく、必死に学ばなければ、卒業できないことも織り込み済みの大学です。間口は広くても出口は狭い大学にしました。そのことにも厳しすぎるという意見もありました。

 実際、4年間で卒業できる人は50%未満です。中嶋学長も入学式でみなさんを迎えた時に「力をつけた学生だけを卒業させる。」「4年で卒業という概念は捨ててほしい。」とお話しされたかと思います。しかし、それを堅持することは、設立に際しての私から中嶋学長へのお願いごとであり、同じ考えをお持ちだった中嶋学長から学生諸君への厳しくて温かい贈り物でもあります。

 中嶋学長、あなたは、グローバルスタンダードな大学を目指して、日本の大学改革と、将来の日本を背負う人材育成に、最後の最後まで努めてくださいました。この国の教育改革には失うことのできない人材でした。

 先日、そんな中嶋学長を育んだ、故郷の信州・松本に行き、街を歩き、険しくそびえ立つ風雪の北アルプスの山々を見てまいりました。心残りは、あの山々を一緒に登りたかった。

 国際教養大学は、中嶋学長の想いを継いで、これからも高い嶺を目指していくことでしょう。どうか、安らかにおやすみください。

   平成25年3月17日 

 

国際教養大学特別功労教授 寺田典城
 

 


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