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首長は万能選手か? [■ブログ■]

 この頃は選挙の結果で(選ばれた人が)何でも決めることができるという風潮のようだが、これはいかがなものかと思っている。例えば、今話題の集団的自衛権や教育委員会の制度改革の件等もそうだ。選挙で選ばれた首長(知事、市区町村長)に新たな教育長・教育委員の任命権・罷免権をもたせるという。

 教育には、子どもたちを育てるうえで、どちらかに偏らない多様性が求められ、結果が出るまで時間がかかる。だからこそ、政治や信条から中立でなければならない。もし、首長に教育委員会に対して今まで以上の権限を与えた場合、今の安倍政権のように自分に都合の良い人間を選任したり、自分の気に入った教師だけを配置する等の濫用の恐れがある。現在、安倍政権が検討している改革案では、教育の中立性・普遍性が保たれなくなる可能性があり、選挙で首長が代わる毎に教育の現場が右に左にとブレる危険性を払拭できない。

 首長の最大の責務は、住民の安全・安心な暮らしを守ること、つまり「身体・生命・財産」を守ることだ。首長の権限の中には、議会に対する教育長・教育委員の人事提案、教育委員会も含めた組織に対する調整や予算執行などがあり、現行のままでも教育委員会に対して一定の影響力を持っている。

 大津市のいじめ事件での教育現場と教育委員会の隠ぺい体質に端を発した今回の教育改革だが、あれは教育内容ではなく、住民である生徒の命にかかわることなのだから、首長が早急に組織に対する調整力・指導性を発揮して、必要な情報を開示する等の対処ができたはずなのに、それをしなかった事が問題なのであって、教育委員会という組織を変えてしまえば解決だと一足飛びにすることはおかしいと私は考える。

 たとえ民意の結果として選ばれた首長であっても一人の人間である以上、それぞれ得意分野も苦手分野もあり、人の好き嫌いもあるだろう。私自身18年間首長を経験しているが、決して万能選手ではないことは、今までの道のりの結果のとおりである。

 それでも、だからこそ、自分の能力の限界に謙虚に厳しく向かい合い、異なる意見に広く耳を傾け、議論していく姿勢が首長には求められると思っている。

 教育こそ国の根幹をなすものと信じて、教育行政に力を注いできた。知事時代には、全国に先駆けた幼保一元化の推進、30人学級、国際教養大学の設立など、県の教育庁(都道府県の教育委員会のこと)と手を取り合いながら進めてきた。それが今になって実を結んできている通り、現状のまま首長に権限を集中させなくても教育委員会改革は可能だ。

 今の教育委員会改革案では首長に権限が集中しすぎるきらいがある。首長にも色々な考えの人がいる。中立公正を心がける人ばかりとは限らず、選挙の票取りでしか教育を考えないかもしれない。その結果は述べるまでもないだろう。

 安倍政権は、政権交代を果たした選挙結果の勢いそのままに「勝った我々が正しい」と言わんばかりの強気の政権運営を続けており、この度の教育改革の首長への権限集中もそんな意識が見え隠れする。そこには一歩間違えば、国民を危険な谷底に突き落としかねない危うさ・怖さを感じている。昨年末の特定秘密保護法案にはじまり、教育委員会改革や集団的自衛権などなど、安倍政権が暴走しないように、今まで以上に注視していく。


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