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大学設置騒動 [■ブログ■]

 田中真紀子文部科学大臣の3大学設置不認可の顛末は、世論からも、政治的にも、大きな批判を受けて覆され、設置が認められる方向で収束した。先ずは一件落着一安心。

 確かに、田中大臣のやり方は明らかなルール違反であり許されるものではない。急な方針の転換に振り回された受験生や編入希望者には気の毒としか言いようがなく、準備を進めてきた3大学や地元自治体の怒りももっともだ。だからといって、騒いだ者勝ちと言わんばかりに、怒りにまかせて田中大臣個人の人格までも否定するような発言と、それを助長するようなマスコミの報じ方はいかがなものかと感じている。

 やり方の良し悪しは別にして、この少子化時代に私立大学の半数は定員割れしている状態を踏まえて、大学設置認可の在り方を、素直におかしいと感じて問題提起をされたことについては、田中大臣らしい成せる技だった。私達も、人材教育の方向性と大学の在り方について、根本的に見直しを考えなければならない時期に来ていると思う。

 私は、全国の知事(経験者)のなかでは、公立大学の設置に関して苦労した方ではないかと自負している。

 1997(平成9)年に秋田県知事に就任した折、秋田県は1993(平成6)年から地域振興と人材の育成いうことで、秋田市郊外と本荘市(現、由利本荘市)にキャンパスを持つ県立大学の設置に向けて進んでいた。既に、学長をはじめとした教授陣や基本カリキュラムは、文部省(当時)との打合せで決まっており、認可が下りる前から用地買収から校舎建設まで事が進んでいた。

 要するに、バックギアの無い進め方であり、将来を見据えて、どういう人材を育てて世に送り出すのかよりも、先ず大学という「箱」を作ることありきで500~600億という大金が投下された。それが大学設置の進め方のルールで、見直しをすることもできず2年後に開学したが、今回、田中大臣はその流れを破ろうとした。

 いわゆる、大学の存在意義の一つは、世に役立つ人材を育成することだ。今回の件で、設置審査の在り方や大学の数と質について見直しをするというが、設立ありきで、出口(卒業時)レベルでどのような人材を輩出し社会に貢献していくのかという議論が無いのは残念だ。この点は、教授陣も含めて大学当局においても反省しなければならない。

 県立大学の反省と苦労を踏まえ、国際化社会と企業のニーズに対応できる人材育成を主眼とした大学の在り方はどうあるべきかを考え、英語で授業をし、外国人と共に生活し、留学を義務付けた大学、国際教養大学を作った。

 卒業時点で、TOEFLで600点(IBTでは100点)、TOEICで900点のクリアを条件としている。それだけ厳しい条件のため、4年ですんなり卒業できる生徒は約半数で、残りは5年くらいで卒業していく。卒業の時点で既に、英語でビジネスの世界に入っていく基礎は身についている。

 開設には県の既存施設を流用し14億円弱の開設資金で開学するという、異例の低コストだった。しかし当時は、秋田県議会をはじめとして、なぜ国が作らなければならないような内容の大学を秋田がつくらなければならないのか等の批判も多く、難産だった。それが開学から10年足らずで、今や全国の注目を集めるまでに育ったのは、企業ニーズに応えるグローバルな人材育成という明確な目標があったからだ。

 今回無事、設置認可が下りた秋田公立美術大学も、どういう人材を育てていくかが鍵になる。大学は設置するは易く、良い人材を輩出し、存続していくことは難い。難産をした子どもは良く育つという。良い大学に育ってもらいたい。


タグ:大学認可

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